もっと楽しいことを書きたい

STAP細胞は、ひとつのアイデアの段階に戻っていると捉えているので、そこまで関心が向かなくなっています。
あまり書くことも気が進まないけれど…。
一度つられたことなので、独り言っぽく触れておきます。


面白いけどデータが揃っていない、というアイデアは、きっと世界中に無数にあるだろうな。
分野は違えど、未熟な大学院生であった私にさえある。
どんなに自分が確信を持っていても、確かなデータを揃えなければ、言えないことがある。

研究を続けるってとても孤独な作業だと思ってる。
オリジナリティのある研究であればあるほど、孤独になる。
表舞台に出なくたって、男だって女だって、泣いてる人はいっぱいいる。
研究は社会的価値のわかりやすいものばかりではないし、そもそも何でそんなこと研究するの?って思われるような場合もたくさんある。

だからひとつひとつ、着実に事実をデータを残し、論証しなければいけない。
なぜこれを研究するのか、という肝心なことを述べる論文のイントロも、丁寧に書かなくちゃいけない。
それは文系でも理系でも関係なかったし、フィールドでもラボでも関係ないと感じる。
(まぁ、哲学や数学なんかになると、どうなんだろ…。)


確信を持っていることであっても、自分が何らかの思い違いをしている可能性も常に考える必要がある。
もしもAという事実を追い求めて調査・実験してもうまくいかなかったとして、
そのうまくいかなかった理由を突き詰めて考えることで、あるいは本筋とは異なる部分で、 Bという思いもよらぬ事実を発見したりもする。
それは研究の醍醐味でもある。
アカデミックな意味を超えて、自分自身が大きく成長する機会にもなる。


大学院生だった頃を思い返す今日この頃。
私も反省するところはいっぱいあるけど…。

(これからも騒動は続くんだろうけど、生き物へのワクワク感からは遠いところに飛んで行ってしまった。)

 
※タイトル変えました。
 (ほかに面白い研究はたくさんあるし、変な「学者」はほかにもいるように思うし、大きくなりすぎた騒動は早くおさまってほしい。)

うまれた

今日は私の誕生日です。
アラサーからアラフォーへと、年々おじさんの階段を登っております。

今年は誕生日を前に、素敵な贈り物を発見しました。
雑草ガーデンという名のアトリエの庭に、カタツムリの卵と赤ちゃんを発見したのです。

 
もう、かわいくってかわいくってたまりません。
 
水晶玉のように透き通った卵。

あーかわいい。

雑草ガーデンにはナメクジが多いんですが、カタツムリは見たことがなくて、きっとカタツムリには住みづらいんだと思っていました。

もしかしてもしかしたら、マイマイ計画がここに移転したことで、ちょっとカタツムリにとって居心地の良い場所になったのかもしれません。
何せ、あえて雑草いっぱいですからね!

昨日こうもりあそびばに来た女の子に知らせると、「こういうの好きやね〜」と私に言いながら、ちょっと興味を持って虫眼鏡で見たり、近くにいたワラジムシを気持ち悪がったりしてました。

何はともあれ、うちを産卵場所に選んでくれたカタツムリさん、ありがとうございました。
天敵も多いけど、無事に大きくなりますように。

STAP細胞発見に思うこと(追記あり)

こんなに大々的に取り上げられる生物系ニュースはたまにしかないし、個人的にも、STAP細胞発見のニュースは他の生命科学系のニュースより非常にワクワク感が大きい。

私のワクワク感は、よくわからない生命現象が新たに発見されたというところにある。
王道的な、遺伝子操作ありきのアプローチでは見過ごしてしまいそうな現象に気づき、自分の目で見たことを信じ、それを徹底的に証明したのである。

例えるなら、壊れたテレビを分解して直そうとしても全然直せなかったのに、外から叩いたら直ってしまった。というような発見だと思う。
使う人にとっては、単に早く直ったという意味しかないが、仕組みに興味がある人にとっては、なんで叩いたら直るのかが不思議でならない。
それだけに、ちゃんと説明しないと「愚弄」されたような気にもなる。

どんな仕組みで?というところもあるけれど、生物として何故こんな「リセットボタン」が用意されているの?ということを考えるのはとても面白い。
再生医療への応用も期待されているけれど、これは単純に生命現象として、たいへん面白い。

もちろんどんな研究にもそういった、わからないことを発見するという側面はあるのだけど、今回<新しくわかったことによって生じたわからなさ>はとても大きい。
その分ワクワク感が大きくて、私も興味津々になってしまうのだ。

(詳しくは、「細胞外からの強いストレスが多能性幹細胞を生み出す」http://www.cdb.riken.jp/jp/04_news/articles/14/140130_stap.html



ところで、研究内容のワクワク感とはズレた議論が一部で盛り上がっていて、モヤモヤしている。

私は研究者の人柄を紹介すること自体はアリだと思っている。
白衣ではなく割烹着というところも面白いし、人柄を好きになることで研究に親しみやすくなる面もある。
だからこそ、小保方氏もそういった質問に気さくに応じていたのだと推測する。
ただ、程度の問題はある。

私は多様な記事や番組、マスメディアをいっしょくたに批判する気はまったくないけれど、それだけに、メディアスクラムがやっぱり生じてしまった様子なのはとても残念。
 
早く研究に没頭できる日が戻ってくるように、研究内容について多くの人に興味を持ってほしいと思う。



珍しく世間的にホットな話題を取り上げてしまったけど、そんななかで今の私のできることは、やっぱりこれからも、身近な自然の魅力、あるいは生命現象のワクワク感が、多くの人に伝わるような活動をすること。なのかな。
「ちいさなちいさな王様」も、読みたいな。

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◆3/16追記

ブログを更新するかどうか迷ったけれど、追記。
この記事を書いた時はこんなことになるとは思ってなかったけれど、今私に信じられるのは、STAP細胞というアイデアのみ。

とっても残念。
仮にも生命操作につながる研究をする人が、これでは困る。
どんな教育環境、研究環境にあったのだろう。

けれど、私はもともと怒りという感情が鈍いのもあるけど、個人を追及する意欲はあまりない。
とっても悲しい。
ネットは集団の怒りが個人に集中しやすく、そこに加担することはしたくないので、新しく記事を上げることは控えます。

生命科学への変な形での注目が高まってしまって、うーむ…。
理系とか、女性とか、若者とか、研究者とか、大きな括りで何かを決め付ける人が増えませんように。

あけちゃいました

あけましておめでとうございます。




みんなにとってしあわせな一年となりますように。

マイマイ計画 野島智司

おおみそか

 こんばんは。
 今年も残すところ、あとわずかです。
 早いなぁ。

 今年もおかげさまで、こうしてマイマイ計画を続けることができました。
 たくさんの方々に、有形無形にお世話になりました。
 本当に、本当に、ありがとうございました。
 

 2013年は、実のところちょっと苦しいスタートでした。
 なんというか、かたつむり見習いのくせに、ジャンプをしようとしたようなところがあります。
 かたつむりにジャンプはできません。少しずつでも、地にあしをつけながら、歩みを進めるのみです。

 大変なこともあったけれど、春くらいから不思議なほど素敵な出会いが続いて、今後の自分にとって大事なつながりができたと感じています。
 偶然のようでいて、心の何処かで出会いたいと思っていた方々に出会えたような気がします。

 今年は何度か、体調を崩したこともありました。
 そういうときはたいてい、心に嘘をついていたり、体に無理をしていたりしたときでした。

 苦労の多かった分、収穫の多い年にもなりました。
 

 マイマイ計画に定まったゴールはありません。
 ただ、ベクトルだけがあります。

 来年は、すでに決まっている楽しみなこともいくつかあります。
 2013年の成果を、みなさんにお届けできる年にしたいなと思っています。

 (でも、くれぐれも気長にお待ちくださいね。)
 

おがくずねんどづくり

 マイマイ計画のワークショップで使う木のねんど「おがくずねんど」は、手づくりしたねんどを使用しています。

 材料となるおがくずは、主に杉の木クラフトさんの工房から頂いています。



 本当はこういうブログのために、前もって杉の木クラフトさんの工房の写真を撮っておきたかったのですが、あいにく写真がありません。

 というのも、いつもおがくずをいただきに工房に伺うと、杉の木クラフトの溝口さんが温かく迎えてくださり、飲み物まで出してくださるので、私もくつろいでゆっくりお話する感じになってしまって、写真を撮ることなどすっかり忘れてしまうのです…。

 ともあれ、そんなお人柄で、そんな雰囲気の工房なのが、杉の木クラフトさんなのです。
 
 今のヘンテコどうぶつのワークショップも、最初は杉の木クラフトさんにお声をかけていただいて、共同のワークショップとして開いたものです。

 なので、まさに杉の木クラフトさんあっての、ヘンテコどうぶつワークショップという感じです。
 ありがたいことです。




 いただいたおがくずは、おがくずと言ってもとても粒子の細かいものです。
 触るとふわふわで、ちょっとひんやりとして、とても気持ちがいいです。

 まずはこれをふるいにかけて、粒子の荒いおがくずや異物を取り除きます。


 ふるいにかけるときも、注意深くやらないと、アトリエ中が木粉だらけになってしまいます。


 こんな感じに、粒子の荒いものが残ります。
 
 いつもはエプロンをしたり、作業着を着たりしてからこの作業を行うのですが、たまに横着をして普段着で作業をすると、そういう時に限ってひっくり返してこぼしたりしてしまいます。



 横着はだめですね…。

 ふるいにかけた木粉は、デンプン糊と少しずつ混ぜ、練っていきます。
 ベタつかず、かつボロボロにならない、良い感じのねんど状になれば、完成です。



 できあがったねんどは、冷蔵庫で保管しておきます。
 自然素材なので、放っておくと腐っちゃうのです。



 おがくずねんど(木粉ねんど)は、画材屋さんなどに行けば、市販のものもあります。
 市販のものはどうやって作っているのかわかりませんが、最近は100円ショップにもあるようです。
 市販品と比べて、これは手にくっつきやすかったり、乾いても水に弱かったり、日持ちが悪かったりします。
 ですが一方で、触ったときの感触や香りは、こっちのほうがいいなぁと我ながら思っています。

 ときどきこのねんどが欲しいとおっしゃってくださる方もいるので、このねんど自体を販売することができないか、考え中です。
 その場合は、おがくずの入手先も増やさないとなぁ。


ヘンテコどうぶつはなぜ、ヘンテコなのか

 マイマイ計画では自然素材とおがくずねんどを使って、ヘンテコどうぶつを作るワークショップをしていますが、ふと思いました。

 どうして、ヘンテコどうぶつはヘンテコなんだろう、と。





 人が何かを作るとき、多くの場合、予め作りたいものをイメージします。
 もし、イメージしたものがそのまま作られたとしたら、それは必ずしもヘンテコにはならないはずです。

 実際、自然の材料を使わずに、ねんどだけを使って動物を作ったとしたら、それはヘンテコにはなりません。
 ねんどを扱う技術さえあれば、イメージ通りに作ることができるからです。
 (木のねんどなので、色や質感が若干ヘンテコですが)

 けれど、自然の木の実や草の種、貝殻などをそのまま利用して動物を作るとなると、そうはいきません。
 例えばウサギを作ろうとする時、耳をねんどで作らずに葉っぱで代用したら、イメージ通りの耳ではなく、ヘンテコな耳になります。
 目を貝殻にしたり、鼻をドングリにしたりすれば、尚更ヘンテコになっていきます。

 どうやら自然の素材を使うというところに、ヘンテコどうぶつがヘンテコになる秘密が隠されているようです。




 自然の素材は、私たちに都合の良いように形作られてはいません。
 それらは自然の中にあるときには、計算し尽くされたかのような精巧な形態だったかもしれません。

 例えばカエデの種は不思議な形をしていますが、高いところから落としてみると、その理由がわかります。
 カエデの種は空中でまるでプロペラのようにクルクルと回転し、実にゆっくりと落ちていきます。
 できるだけ遠くに子孫が広がっていくように進化した結果が、この形態なのです。

 ところが、人間の都合で自然を利用する時には、そんな進化の過程は関係ありません。
 それを動物の「目」として利用する時には、むしろヘンテコな形として立ち現れます。

 そんな自然と人間とのちょっとしたズレから、自然素材を使ったヘンテコどうぶつは、ヘンテコになっていくのです。




 これはきっと、私たちの暮らしについても言えるんじゃないでしょうか。

 私たちも自然のものをそのまま利用しようとすればするほど、暮らしが思い通りにはなりません。
 自然が私たちのために存在し、生きているわけではないからです。
 ヘンテコどうぶつのように、私たちの暮らし全体が、ちょっとずつヘンテコになっていきます。

 でも、その思い通りにならなさが、愛らしさや愉しさを生み出したりもするし、物事を別の視点から考えることにもつながるし、そのおかげで自然を好きになったりもするんです。

 自然のなすがままでもなく、自分の思い通りでもない。
 なんだかヘンテコっていいなと思います。

 きっと人と人との関係だってそう。
 ヘンテコなコミュニティが、いいのかもしれません。





 最近流行に乗って体調を崩していた私ですが、流行のエコやロハスではなく、今後はヘンテコな暮らしを実践しようと決めました。

 そして、前々からアトリエで何か教室みたいなことをやろうと思ったり言ったりしてきましたが、それを「ヘンテコ研究所」にしようかなと構想しています。
 自然とともにある、ヘンテコな暮らしを実現するための研究所です。

 こうもりあそびばのように、まずは小さくこっそりと、いつの間にかスタートしているかもしれません。


お散歩自然観察が好きなわけ

 マイマイ計画では「お散歩自然観察」をときどき実施しています。
 そこではいつも「小さな脱線」を大事にしています。

 そこには色んな思いがあるのですが、特にそこに至った背景にある印象的なエピソードをひとつ書いておきます。

 

 
 札幌での学生時代、とある都市公園での野鳥観察会に参加しました。
 大きな森のあるその公園での観察会には、大人も子どもも来ていました。

 野鳥の観察は、とても面白いものです。
 野鳥のことは知れば知るほど奥が深く、引き込まれるものがあります。
 特に専門的知識のある人といると、そこで聞ける話にもまたわくわくさせられます。


 けれど、この日の私の参加の仕方はずいぶん違いました。
 参加者に子どもがいたせいもありますが、特に、主催者側の一人である知人が、道の脇に変な虫がいるのを発見したところから、私の参加の仕方は大きく変わりました。


 その瞬間、私と知人は、道の脇の変な虫に注目し、しゃがみこみました。
 しかし、肝心の虫がそのままどこかに隠れてしまい、見つからなくなりました。
 そこで私たちは、隠れた場所がどこなのか、探し始めました。
 けれど、なかなか見つかりません。

 やがて、私たちの様子に興味を持った子どももそこにやってきて、一緒に虫を探し始めます。
 すると出てきたのは、なんと大きなミミズ。

 「あ!ミミズ!かわいい!」

 その子は言いました。
 そんなミミズに対する反応が面白くて、私も「え?ミミズ好きなの?」などとその子に対する興味も湧いて、どんどんその場が盛り上がっていきました。




 何分ぐらいそうしていたのでしょう。
 時間を忘れてしゃがみこんでいる間に、肝心の野鳥観察会の集団は、すっかり先へと進み、見えなくなっていました。

 ただ、その変な虫を見つけた知人は、会の主催者側の一人。
 急いで後を追おうとするものの、歩き慣れた場所で迷う心配がないということもあって、すぐにまた羽化直前のセミを見つけたり、エゾサンショウウオの卵を見に行ったりして、道を外れ、どんどん脱線が加速してしまいました。

 結局、その日は結局最後まで野鳥観察会の流れに合流することはなく、野鳥ではなく、面白そうな虫や草花を見つけて楽しむ会になっていました。
 これはもう、「小さな脱線」どころではありません。




 それでとっても反省した…という話ではありません。
 この日のことは、私にとって非常に楽しかった「野鳥観察会」として、今でも強く印象に残っています。
 一緒に歩いていた子どもたちも、ずっと楽しそうでした。

 この日の「野鳥観察会」という内容が無駄だったわけではありません。
 それをしっかり楽しんだ大人も子どももいるでしょう。

 一方、私たちはその都市公園の価値を、私たちの視点から、たくさん発見することができました。
 そして、それを発見することができたのは、野鳥観察会で「歩きながら自然を観察する」という実践をしていたからです。
 そもそも野鳥観察会をする人たちがいなかったら、私たちの発見もありませんでした。

 「野鳥観察会」の目的の根っこにある、自然を楽しむという趣旨と、私たちの行動は矛盾するものではなかったと思っています。
 脱線ができるからこそ、また同じ内容のものも何回でも参加したいと思えます。

 そんな面白さに気付いてしまった私は、以後「小さな脱線」を大切にしようと心に決めたのです。
 (修士論文では「逸脱」というキーワードにしましたが。)


 今年もまた、脱線可能なお散歩自然観察のやり方を、自分なりに質を高めて、やっていきたいと思っています。
 そのためには普段から私自身が、自然を、散歩を、楽しんでいたいと思うのです。
 そして、遊び心を忘れずに。

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